* * * ■世論調査が「中」の回答を誘導
かつて日本を「総中流」の社会だと信じることのできる時代があった。もちろん、この時代にもかなり大きな格差はあった。しかし大多数の人が、尋ねられれば自分を「中」だと答えたし、「日本人の九割は中流だ」といわれても、とくに疑問をもつこともなく、これを信じた。
なぜか。これにはいくつかの理由があった。
まず、質問の仕方が人々を「中」という回答へ誘導するものだった(図)。人々はもともと、自分が社会全体のなかで「上」「中」「下」のどれであるかなどということを、明確に意識しているわけではない。どれかといわれても、しっくりこない人も多い。しかし、この三つから選べといわれれば、「上」でも「下」でもなく「中」だと、消去法的に答えてしまうのである。
しかも「総中流」の根拠とされた世論調査では、「上」と「下」は選択肢が一つだけなのに、「中」は「中の上」「中の中」「中の下」の三つに分かれている。この三つを合計すれば「中」が多くなるのはあたりまえである。だから日本だけではなく、どんな国でも、同じ質問をすれば「中」と答える人が九割前後になってしまう。
しかし第二に、「総中流」がいわれるようになった1970年代の後半は、高度経済成長が十数年続いた直後であり、実際に格差が小さくなっていた。また大部分の人々は、高度成長によって所得が増加しており、その生活水準は実際に、一昔前の「中流」のレベルに達していた。だから日本は「総中流」の社会だといわれても、それほど疑問をもつことがなかった。
さらに人々は、自分の生活水準が社会全体のなかでどのような位置にあるのかを知らなかった。生活の変化が大きかったので、ふだん顔をあわせることのない、学歴も職業も異なる人々と比べて、自分の生活水準が高いのか低いのか、判断がつかなかった。豊かな人々は自分が他の人々より豊かであることを知らず、貧しい人々は自分が他の人々より貧しいことを知らなかった。
■「中=よきもの」という理想
だから、「あなたは“中”だ」といわれても、これに疑問をもたなかった。そして人々は、「中」あるいは「中流」というものに、ひとつの理想を見出していた。
古代ギリシャの哲学者、ロビンソン・クルーソーの父親、そして近代日本の思想家たちと同じように、「中」はよいものであると考え、みんなが「中」であるような社会はよい社会だと考えた。だから「総中流」には、快い響きがあり、人々はこれを進んで受け入れたのである。 しかしその後、経済格差の拡大が何十年にもわたって続き、21世紀に入ったころには、格差が拡大していること、貧困層が増大していることは、隠すことのできない事実となった。
そして人々は、自分の生活程度が社会全体のなかでどのような位置にあるのかを、かなり正確に自覚するようになった。豊かな人は自分が豊かであることを自覚し、貧しい人は自分が貧しいことを自覚するようになった。こうして人々は、「総中流」を信じなくなった。 このように格差に関する人々の認識や意識が大きく変わった以上、格差の現実をそのままにして、人々に「自分は中流だ」と信じさせることは不可能である。
多くの人々にとって、「中流」は望ましいものであり、「自分は中流だ」と信じることのできる社会は望ましい社会だろう。しかし格差の現実を変えることなくして、つまり格差を縮小し、貧困を解消することなくして、これを実現することは不可能である。
https://dot.asahi.com/dot/2020071500077.html?page=1
この中間層の安定した消費があったからこそ日本企業は順調に成長できたし中間層が
教育にも熱心だったお陰で企業は人材の採用にも苦労しなかったのである
この過去の蓄積を食いつぶし国力の低下を招いたのが小泉竹中コンビだ
いまこそ、私たちは新自由主義と決別し角栄の目指した一億総中流路線に回帰すべきである
一連の流れでしかないのでそんなこと言っても無駄
かわいそう、、、
夫婦で大企業なら2000万円になる。
まあ、その流れに乗っていない人にとっては格差社会というか奴隷社会ともいえるな。
もっと世界に目を向けたら?
OECD加盟41カ国中ワースト8位の数値
時代になり、カースト学校が生まれたのは。。。
そんな意味では格差社会かね?無国籍の根無草な日本人がふえたしな
日本が大丈夫だったのは戦前帰還兵爺ちゃんが長老で生きてた時代までかなぁ
小泉・竹中時代をリアルタイムで知らなさそう
物品税廃止、消費税導入はもっと前、橋龍はその時の大蔵大臣だけど
橋本大蔵大臣+三重野日銀総裁による 大不況政策と、
それに続く30年デフレで総中流社会は壊れたんだよ。
いまさら何言っているんだ。
ポイントは2つ。「経済成長」と「富の分配」。
日本は、デフレで、ほぼ成長しなかったが、一方で金持ちの寡占が進んだ。
経済が縮小した訳ではないので、金持ちの寡占が進まなければ、中流層は厚いままだったろう。
国内での分配とか世界で張り合える一握りの金持ちを作るのは全く別の話だと思うんだが
なんでかバブル崩壊後は突出した金持ちがいないとダメみたいな風潮なのがよくわからん
競争社会が世の中を進歩、発展させると言ったが
逆になった。本当にこんな格差が開く社会になるとは
誰も思っていなかった。完全に騙された。
現実は
> 競争社会が上級国民だけ進歩、発展させる(残りは底辺と言う名の奴隷へ)
ってところだったのかと
家をあきらめる、車をあきらめる、
結婚をあきらめる、旅行をあきらめる、外食をあきらめる
賃貸の部屋のレベルをあきらめる
普通の食事をあきらめる 酒をあきらめる、
ちなみに普通の食事をあきらめると健康になりますよw
突き詰めたら「人生そのものを早々と諦める」へw
仏教に行き着くな。
それではまた来世~
中間層以外が完全に見捨てられていたにすぎない。
当時のほうがはるかに格差社会なんだよ。
当時、確かに、金持ちが割を食った。
でも、いい時代だったと思うよ。
振り返れば、中曽根首相の頃から40年経過してるんすよ
まあ下限でも子供を高校にも行かせられないような世帯は相当減少しているから良い方向に進んではいるんじゃないか。
大学に行って大企業に入るまではドーパミンが簡単に出るが
本当にやりたい事をするための環境に変えないとそれ以上の幸福は無理ですよって言ってたから終身雇用のサラリーマンみたいなのはどんどん無くなってく
煩悩捨てた者が勝者の時代だから勝ち組だぞ
団塊世代が死んだら中堅国家で国民の生活は総貧困になる
Source: XM Trading 評判・口コミ ? FX・投資・マネーまとめ速報
【経済】「一億総中流」を信じた日本人の行く末…貧困と格差が見せつけた「階級社会」の現実とは